【うまくいかなかった授業ほど記事にする価値】
もっと
授業がうまくいかなかった日。
その日の帰り道は、少し足取りが重くなります。
「もっとこうすればよかった」
「時間配分を間違えた」
「発問がぼんやりしていた」
頭の中には反省が浮かんでいるのに、多くの場合、それは数日後には消えてしまいます。
そして次の年、同じ単元の前で思います。
「去年もここ難しかった気がする…」
この瞬間こそ、記事にする価値がある瞬間です。
なぜ「成功した授業」ばかり書こうとしてしまうのか
教員が発信を考えたとき、多くの人がこう思います。
・成功した実践を書かなければいけない
・完成した授業でないと公開できない
・参考になる内容でないと意味がない
つまり、**「役に立つ記事=成功事例」**という前提です。
でも実は、これが発信を止める大きな原因になっています。
成功した授業は、年に何回もあるわけではありません。
だから「書けることがない」と感じてしまうのです。
うまくいかなかった授業には「思考」が残っている
授業がうまくいったとき、私たちは満足します。
そして次の授業準備へ進みます。
しかし、うまくいかなかったときは違います。
なぜだろう?
どこでずれた?
何が足りなかった?
頭の中で考え続けます。
つまり、失敗した授業にはすでに思考が生まれているのです。
発信に必要なのは、完成度ではありません。
思考です。
成功授業は「再現」が難しい
もう一つ大事な視点があります。
成功した授業は、実は再現が難しいことが多いのです。
・その日の学級の雰囲気
・児童の発言の流れ
・偶然生まれたやり取り
こうした要素が重なって、うまくいった授業は成立しています。
一方で、うまくいかなかった授業は違います。
原因を言葉にしようとする過程で、再現性が生まれます。
・時間配分の問題だった
・発問が抽象的すぎた
・活動の順番が逆だった
ここまで言語化されたとき、授業は共有できる形になります。
失敗の言語化は、次の授業を変える
うまくいかなかった授業を記事にするとき、書く内容はシンプルです。
・何が起きたか
・なぜ起きたか
・次はどうするか
この3点を書くだけで、授業は次につながります。
そして不思議なことに、ここまで書いた授業は次の年に同じ失敗をしにくくなります。
なぜなら、
失敗が経験から知識に変わっているからです。
読者にとって価値があるのも「試行錯誤」
読む側の立場で考えてみると、気づくことがあります。
完璧な実践記事は、すごいと思う。
でも、真似できるとは限らない。
一方で、試行錯誤が書かれている記事は違います。
・同じところで悩んでいる
・同じような失敗をしている
・同じように改善しようとしている
こうした過程は、多くの教員の現実と重なります。
だからこそ、共感と学びが生まれます。
「うまくいかなかった」は書き始めるサイン
発信を始めたいのに書けないと感じるとき、
多くの場合「成功した授業がない」と思っています。
でも本当は逆です。
「うまくいかなかった」と感じた日こそ、書き始めるタイミングです。
その違和感は、すでに思考の始まりだからです。
完成していなくても、途中でもいい
教員の発信は、研究論文ではありません。
完成形を書く必要はありません。
・試してみた
・うまくいかなかった
・次はこうしてみたい
この途中の状態こそ、価値があります。
授業は一回で完成しません。
だから記事も、一回で完成していなくて大丈夫です。
学びへ
うまくいかなかった授業は、失敗ではありません。
次の授業の入口です。
その入口を言葉にしたとき、
授業は「出来事」から「学び」に変わります。
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