「教育DXって、本当に必要なのだろうか」
教育DX。
ここ数年、急に当たり前のように聞くようになった言葉です。
研修資料、校内研修、行政の資料、教育ニュース。
気がつけば、どこを見ても「DX」という文字が並んでいます。
けれど現場にいると、正直こんな感覚はないでしょうか。
「また新しい言葉が出てきたな…」
「結局、何をすればいいの?」
「今でも手一杯なのに、さらに仕事が増えるの?」
タブレット活用、クラウド、ICT、校務のデジタル化。
並んだ言葉を見るたびに、
“やらなければいけないことが増えていく感じ”だけが残る。
そしていつの間にか、心のどこかでこう思ってしまう。
「教育DXって、本当に必要なのだろうか」
「現場に合っているのだろうか」
「進めなきゃいけないの?」
だから教育DXは、多くの場合
**「進めるべきもの」**として語られます。
その結果、現場では自然と
「進めるか」「進めないか」という話になっていきます。
でも私は、この問いそのものが
少し違っているのではないかと感じています。
教育DXは、
進めるかどうかを選べるものではありません。
この記事では、まずその理由から整理してみたいと思います。
現場が感じている“もやもや”
教育DXという言葉に対して、現場の反応は決して一枚岩ではありません。
前向きに取り組んでいる学校もあれば、
戸惑いや不安を感じている学校もあります。
むしろ、多くの先生はその両方の気持ちを同時に抱えているのではないでしょうか。
便利になる実感はある。
でも、それ以上に負担感もある。
・タブレットを使う場面が増えた
・新しいツールを覚える必要が出てきた
・校務の仕組みも少しずつ変わってきた
変化は確実に起きているのに、
「何のために変わっているのか」が見えにくい。
その結果、こんな感覚が生まれやすくなります。
「現場はもう十分がんばっているのに」
「これ以上、何を変えればいいのか」
そしてもう一つ、大きな違和感があります。
教育DXの話は、
どこか“導入する側の言葉”で語られることが多いという点です。
・導入する
・活用する
・推進する
こうした言葉が並ぶほど、
現場では「また何かが増える」という印象が強くなります。
だから教育DXは、
「やるか、やらないか」という話に見えてしまう。
でも本当にそうなのでしょうか。
ここから、教育DXに対するよくある誤解を整理していきます。
よくある誤解:教育DX=ICT導入
教育DXと聞いて、多くの人が最初に思い浮かべるのは
「ICTの活用」ではないでしょうか。
タブレットを使う授業。
クラウドでの提出物。
デジタル教材やアプリの活用。
確かに、どれも教育DXの中に含まれるものです。
しかし、ここで一度立ち止まって考えてみたいのです。
これらは本当に「DXそのもの」なのでしょうか。
タブレットは道具です。
クラウドも道具です。
アプリもデジタル教材も、すべて手段です。
本来、手段は目的のあとに決まるものです。
けれど教育DXの話になると、順番が逆転しがちです。
・タブレットをどう使うか
・どのアプリを使うか
・どのツールを導入するか
気づけば議論の中心が、
**「何を使うか」**になってしまう。
その結果、教育DXは
「ICTを導入すること」とほぼ同じ意味で受け取られていきます。
でももし、教育DXがICT導入そのものだとしたら——
「進めるかどうか」という議論が生まれるのも無理はありません。
新しい道具の導入には、必ず負担が伴うからです。
けれど、本当にそうなのでしょうか。
教育DXの本質は、そこにあるのでしょうか。
ここから、教育DXをもう一段深いところから捉えていきます。
本質:DXは「変化への適応」の話
DXという言葉は、どうしても
「何かを導入する」「何かを変える」という響きを持っています。
だから私たちは、ついこう考えてしまいます。
**「学校が変わらなければいけない」**と。
けれど本当は、順番が逆です。
先に変わったのは、学校ではありません。
社会のほうです。
私たちの周りを見渡すと、変化ははっきりしています。
情報は紙だけのものではなくなりました。
調べたいことは、いつでも手の中の端末からアクセスできます。
人と人は、場所を越えてつながれるようになりました。
大人の働き方も大きく変わりました。
資料作成、情報共有、コミュニケーションの方法。
多くの仕事が、デジタルを前提に設計されています。
そしてもちろん、子どもたちの環境も変わっています。
・分からないことはすぐに検索できる
・動画や画像から学ぶことが当たり前になっている
・オンラインで人とつながる経験を日常的に持っている
子どもたちは、すでに
デジタルが存在する社会の中で育っています。
だから本来の順序はこうです。
社会が変わった。
子どもが変わった。
学びの環境が変わった。
だから学校も、変わらざるを得ない。
ここに、教育DXの出発点があります。
つまり教育DXは、
新しいことを「進める」話ではありません。
すでに起きている変化に、どう向き合うかの話なのです。
なぜ「進める/進めない」の議論になるのか
ここまで整理すると、教育DXは本来
「やるかどうかを選ぶものではない」ことが見えてきます。
それでも現場では、どうしても
「進めるか」「進めないか」という話になりがちです。
その理由は、とても現場的で、もっともなものです。
まず一つ目は、追加業務に見えてしまうこと。
新しいツールを覚える。
新しいやり方を試す。
これまでの授業を見直す。
どれも時間とエネルギーが必要です。
忙しい日常の中では、それはどうしても
「新しい仕事が増えた」と感じられます。
二つ目は、成果が見えにくいこと。
ICT活用はすぐにテストの点数として表れるわけではありません。
授業準備の工夫や学び方の変化は、短期間では数値化しにくいものです。
だからこそ、こんな疑問が浮かびます。
「本当に意味があるのだろうか」
「今のやり方のままでもいいのではないか」
三つ目は、成功事例が遠く感じられること。
先進的な実践を見ると、すごいと感じる一方で、
「自分の学校でできるだろうか」という距離感も生まれます。
環境も条件も違う。
時間も余裕も限られている。
その現実を考えるほど、教育DXは
“特別な学校の話”のように見えてしまうのです。
こうして教育DXは、いつの間にか
「進めるかどうか」という議論の形をとるようになります。
けれど本当は、ここでも視点を少し変える必要があります。
視点の転換:「導入」ではなく「選択」
教育DXという言葉が重く感じられる理由の一つは、
それが「導入」の話として語られることです。
新しいものを入れる。
新しい方法に変える。
これまでを置き換える。
そう考えるほど、ハードルは高くなります。
でももし、教育DXを導入ではなく選択の話として捉え直したらどうでしょうか。
授業づくりの中で、私たちは毎日たくさんの選択をしています。
黒板に書くか、プリントにするか。
個人で考える時間をとるか、話し合いを入れるか。
ノートにまとめるか、発表させるか。
本来、授業は「最適な方法を選び続ける営み」です。
その選択肢の中に、デジタルという手段が加わった。
ただそれだけのこととも言えます。
黒板が良い場面もあります。
紙が適している場面もあります。
デジタルが力を発揮する場面もあります。
重要なのは、どれを使うかではなく
この学びにとって何が最適かを選ぶこと。
教育DXとは、道具をデジタルに置き換えることではありません。
学び方と働き方を、今の環境に合わせて再設計していくことです。
ここまで来ると、「進めるかどうか」という問いが
少し違って見えてくるのではないでしょうか。
結論:DXは日常の中で進んでいく
ここまで見てきたように、教育DXは
大きな改革を一気に進める話ではありません。
特別な学校だけが取り組むものでも、
最新のツールを使いこなすことでもありません。
日々の授業づくり。
学び方の工夫。
働き方の見直し。
その一つ一つの中で、
「今の子どもたちにとって何が最適か」を考え続けること。
その積み重ねこそが、教育DXなのだと思います。
だから教育DXは、
「進める/進めない」の話ではありません。
すでに始まっている変化の中で、
どんな選択を重ねていくのかという話です。
このブログでは、
授業・学び方・働き方という視点から、
現場での小さな実践や試行錯誤を記録していきます。
特別な成功事例ではなく、
現場で無理なく続けられる工夫として。
教育DXを、遠い言葉ではなく
日常の中の実践として捉えるために。
ここから、その記録を始めていきます。
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