【なぜ書き始める前が怖いのか】
「書きたい気持ちはある。
でも、なぜか手が止まる。」
ブログを始めたいと思ったとき、多くの先生がここで止まります。
実践はある。考えもある。話すこともできる。
それなのに、いざ書こうとすると動けなくなる。
この記事では、書けない原因を“書き方”ではなく、書く前の気持ちから整理してみます。
結論から言うと、書けないのは能力の問題ではありません。むしろその逆です。
書く前が一番怖い
不思議ですが、書き始めてしまえば進むのに、最初の一行だけがとても重い。
これは多くの先生に共通しています。
授業は毎日公開しているのに、文章になると急に怖くなる。
この感覚、思い当たる方は多いのではないでしょうか。
理由はシンプルで、書く=残るからです。
授業はその場で終わります。
でも文章は、あとから何度も読み返されます。
ここに、発信特有の怖さがあります。
「批判が怖い」だけではない
よく「批判が怖いから書けない」と言われます。
もちろんそれもありますが、実はもう少し複雑です。
書く前の怖さの正体は、大きく3つあります。
① 未完成の自分が見えること
授業は毎日試行錯誤の連続です。
まだ整理できていないこともたくさんあります。
でも、文章にするとその途中段階がはっきり見えます。
・まだ言い切れるほど自信がない
・考えがまとまりきっていない
・もっと良いやり方があるかもしれない
この「途中感」が、手を止めます。
② 正しさを証明しなければいけない気がする
教員は普段、説明する立場です。
だから無意識にこう思ってしまいます。
- 正しいことを書かなければ
- 根拠が必要では
- 間違っていたらどうしよう
でも本来、実践の言語化は
正解の提示ではなく、思考の記録です。
ここに大きなズレがあります。
③ 発信は特別な人がするもの、という思い込み
多くの先生が心のどこかで思っています。
- 研究実績がある人が書くもの
- すごい実践がある人が書くもの
- 文章が得意な人が書くもの
だから
「自分はまだ早い」
と感じてしまう。
でも実際は逆です。
途中だからこそ書く意味があります。
教員が書くのは「発表」ではない
ここがとても大切なポイントです。
研究発表は、完成した成果を共有する場。
ブログ発信は、思考の過程を残す場。
役割がまったく違います。
授業後、職員室で
「あの授業どうだった?」
と話すことがありますよね。
本来ブログは、その延長線にあるものです。
違いは一つだけ。
口頭は消える。
文章は残る。
それだけです。
それでも怖いのは、真剣に授業をしている証拠
もし授業を深く考えていなければ、書くことは怖くなりません。
怖さはむしろ、次の証拠です。
- 授業を大切にしている
- 言葉の影響力を分かっている
- 教育を軽く扱いたくないと思っている
つまりこの恐怖は、
発信に向いていない証拠ではなく、向いている証拠です。
「書ける人」と「書き続ける人」は違う
書ける人はたくさんいます。
でも書き続ける人は多くありません。
違いは能力ではなく、考え方です。
書ける人 → うまく書こうとする
書き続ける人 → 記録しようとする
ここが分岐点になります。
最初の一歩は「記事を書く」ではない
発信の目的は
- 評価されることでも
- 役立つ記事を書くことでもなく
まずは
自分の実践を忘れないために残すこと。
ここから始まります。
完璧な記事を書く必要はありません。
思考の断片で十分です。
まとめ
書き始める前が怖いのは、とても自然なことです。
それは発信の難しさではなく、教育という仕事の重さがあるからです。
だからこそ、完璧な記事ではなく、
思考の断片から始めていい。
発信は特別な行為ではありません。
授業後の思考を、消さずに残すだけです。
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