教師として学び続けることや、日々の実践を振り返る中で生まれた問いを記録しています。
教育を考える 問いを残す授業があってもいいのではないかーすぐに答えが出ない学びの価値。ー
授業は必ずしも結論に到達する必要があるのか。問いを残す授業の意味と、学びに残る余白について現場の視点から考えます。
教育を考える 教師の言葉が、学級の空気をつくるー何気ない一言が、教室の文化になる。ー
教師の言葉は、学級の空気や学び方を形づくる。日常の声かけや評価の言葉が子どもに与える影響を、教室の視点から考えます。
教育を考える 評価は子どものためにあるのかー評価の目的を、もう一度問い直す。ー
評価は本当に子どものためのものなのか。通知表・テスト・観点別評価を現場の視点から見つめ直し、評価の目的と役割を考えます。
教育を考える 「よくできました」は、子どもに何を残しているか
教室で日常的に使われる「よくできました」。その言葉は子どもの中に何を残しているのか。評価と学びの関係を見直し、思考が残る授業の言葉を考えます。
教育を考える 若手に「背中で見せる」はもう限界なのかー見て学ぶは本当に機能しているかー
若手育成における「背中で見せる」は今も機能しているのか。学校文化の変化とともに、経験の共有のあり方を考えます。
教育を考える 使えるか」より「使わない判断」をどう共有するかー活用しない勇気ー
ICTを「使えるか」だけでなく「使わない判断」をどう共有するか。活用の前提を見直し、選択を言葉にする必要性を考えます。
教育を考える 教育DXに“置いていかれる”不安についてー不安の輪郭を言葉にするー
教育DXに置いていかれる不安はどこから生まれるのか。現場の教員が感じる焦りや戸惑いを整理しながら、その正体を考えます。
教育を考える デジタルで本当に失われているものは何かー感覚の違和感を整理するー
デジタル化によって本当に失われているものは何か。感覚的な不安の正体を、教室の視点から整理して考えます。
教育を考える 「考えさせる授業」とは、何をさせることなのかー思考は見えるのかー
「考えさせる授業」とは何を意味しているのか。活動と学びの違い、思考を捉える難しさを教室の視点から考えます。
教育を考える その「できた」は、誰にとっての成功だったのかー子どもの「できた」を問い直すー
「できた」「達成した」という言葉は授業で頻繁に使われます。しかしその成功は本当に子ども自身のものなのでしょうか。評価・達成・成長を現場視点で考え直します。
教育を考える 教員はどこまで抱え込むべきなのかー境界線を考えるー
教員はどこまで抱え込むべきなのか。学校に集まり続ける役割や期待を見つめ直し、仕事の境界線について現場視点で考えます。
教育を考える 忙しさは努力不足なのかー教員の忙しさを捉え直すー
教員の忙しさは努力不足なのか。働き方改革が進む中で、個人の問題として語られがちな忙しさを現場視点で考えます。
教育を考える 話し合いが苦手な子は、本当に協働できていないのかー見えにくい協働を考えるー
話し合いが苦手な子は協働的に学べていないのか。発言の量だけでは見えない「協働」の姿を、教室の実感から考えます。
教育を考える 教育DX政策を現場から見て感じる違和感ー政策と授業の距離を考えるー
教育DX政策は着実に進んでいると言われる一方、教室では小さな違和感を覚える瞬間もある。現場から見た政策と実践の距離について考えます。
教育を考える 静かな教室=よい授業なのかー教室の静けさを問い直すー
静かな教室は「よい授業」と言えるのか。落ち着いた授業という評価の裏側で、子どもの学びはどうなっているのかを現場視点で考えます。
教育を考える 学習指導要領は「読むもの」なのか
学習指導要領は「読むもの」なのか。それとも現場で使いながら理解していくものなのか。教室での実感から、学習指導要領との距離感を考えます。
教育を考える 授業改善は、どこから始まるのか
授業改善は新しい実践を増やすことではありません。本記事では、学習指導要領・授業観・日常の実践を手がかりに、授業改善が始まる本当の出発点を考えます。
教育を考える 個別最適な学びは、どこまで個別なのかー問いをもつための疑問ー
個別最適な学びはどこまで個別なのか。ICT環境の進展と学校の集団性を手がかりに、個別最適と協働の関係を現場の視点から考えます。
教育を考える 教育DXは「ICT活用のこと」なのか
教育DXはICT活用のことなのか。GIGAスクール以降の変化を手がかりに、教育DXと学校現場の距離を考えます。
教育を考える 学習指導要領は「現場でどう使われているのか」
学習指導要領は現場でどのように使われているのか。授業づくりの日常から見える「遠さ」と「近さ」を整理し、学習指導要領の役割を改めて考えます。