静かな教室=よい授業なのか
授業を見に来た人から、
「落ち着いたよい授業ですね」
と言われることがあります。
子どもたちは席に座り、静かに話を聞いている。
教室は整っていて、声はあまり聞こえない。
確かに、外から見ると「よい授業」に見えます。
けれど、その言葉を聞いたとき、心のどこかに小さな引っかかりが残ることがあります。
静かな教室は、本当に学んでいる教室なのでしょうか。
「静か=よい」という感覚はどこから来たのか
学校では長い間、
「落ち着いた授業」
理解は大切にされてきました。
・私語が少ない
・教師の話をよく聞いている
・教室が整っている
こうした状態は、授業がうまくいっているサインとして捉えられてきました。
そして実際、学級経営が崩れていると授業が成立しないのも事実です。
静けさが必要な場面は確かにあります。
だからこそ、「静か=よい授業」という感覚は自然に生まれたのだと思います。
静かな授業で起きていること
けれど、教室に立っていると気づくことがあります。
静かな授業には、いくつかの種類があります。
・集中して考えている静けさ
・理解しているから静かな状態
・何をしてよいか分からず静かな状態
・間違えないように発言を控えている静けさ
見た目は同じでも、
中で起きていることはまったく違います。
外からは、この違いがほとんど見えません。
声が出ない教室で失われるもの
授業の中で、子どもが言葉にする機会はとても重要です。
考えを話す
友達の意見を聞く
迷いや違いに気づく
こうした活動は、どうしても声を伴います。
もし教室が常に静かであるなら、
そこでは表に出ていない思考があるかもしれません。
もちろん、常に騒がしい必要はありません。
けれど、声が出ない状態が続くことには、少し注意が必要です。
静けさと学びは一致しない
授業を振り返るとき、私たちはつい「見た目」で判断してしまいます。
・落ち着いていたか
・スムーズに進んだか
・予定通り終わったか
これらは確かに大切です。
しかし、それだけでは学びは見えません。
学びは、頭の中で起きています。
ときには試行錯誤や迷いの中で生まれます。
その過程は、必ずしも静かとは限りません。
「静けさ」をどう捉え直すか
静かな教室が悪いわけではありません。
必要な静けさは確かにあります。
ただし、それは目的ではなく手段なのだと思います。
静けさを目指すのではなく、
学びの結果として静かになる瞬間がある。
この順序が大切なのかもしれません。
よい授業は、見た目だけでは分からない
授業を評価するとき、見た目は分かりやすい指標です。
けれど、それだけでは足りません。
子どもは何を考えていたのか。
どんなことに気づいたのか。
どんな変化が起きていたのか。
こうした問いに目を向けたとき、
静けさの意味は少し変わります。
静かな教室は、よい授業かもしれない。
けれど、そうとは限らない。
だからこそ、教室の静けさを見たとき、
もう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。
気になるところから、読んでみてください
一つの問いから、また別の問いが生まれていきます。
よければ、こちらの記事もあわせて読んでみてください。
授業を見直す出発点を整理した記事☝️
学びの姿の多様さを考えた記事。☝️
見た目と実態のズレを考える。☝️





コメント