話し合いが苦手な子
協働的な学びという言葉を聞くと、多くの場合、話し合いの場面が思い浮かびます。
グループで意見を出し合い、考えを交流し、学びを深めていく姿。
そして授業を振り返るとき、ついこんな言葉が出てきます。
「もっと話し合いを活発にしたい」
「発言が少なかった」
そのたびに、少し気になることがあります。
話し合いが苦手な子は、本当に協働できていないのでしょうか。
協働=話し合い、というイメージ
授業づくりの中で、「協働的な学び」という言葉はよく登場します。
その多くは、話し合い活動と結びついています。
・グループでの意見交流
・全体での共有
・対話を通した理解の深化
確かに、言葉による交流は協働の重要な要素です。
話すことで思考が整理され、新しい気づきが生まれることも多くあります。
けれど、ここで一つの問いが浮かびます。
協働は、本当に「話すこと」でしか成立しないのでしょうか。
話さない子は、何もしていないのか
話し合いの場面で、発言が少ない子がいます。
教師としては、つい気になります。
参加できているだろうか。
理解できているだろうか。
取り残されていないだろうか。
しかし、近くで様子を見ていると気づくことがあります。
友達の発言をうなずきながら聞いている。
ノートにメモを取り続けている。
発表はしないけれど、最後のまとめでは的確な考えを書いている。
声に出していないだけで、
学びの中に確かに参加している姿があります。
協働は「発言の量」では測れない
話し合いの場面では、どうしても発言の多さが目に入ります。
活発に話しているグループは、協働しているように見えます。
けれど、発言が多いことと学びが深いことは必ずしも一致しません。
・誰かが話し続けているだけの話し合い
・意見が深まらないまま進む活動
・何となく合意して終わる交流
一方で、発言が少なくても、深く考えている場面もあります。
協働は、見た目だけでは測れないものです。
協働の中には「聞く」がある
協働という言葉を考えるとき、
つい「話す」に目が向きます。
けれど、協働にはもう一つ大切な行為があります。
それは「聞く」です。
友達の考えを受け止める
違いに気づく
自分の考えを見直す
これらは、声に出さなくても起こります。
むしろ、静かに起きていることも多いのです。
協働の姿は一つではない
教室には、さまざまな子どもがいます。
すぐに言葉にできる子
じっくり考えてから表現する子
話すより書く方が得意な子
聞くことに集中する子
もし協働を「よく話すこと」と定義してしまうと、
一部の子どもだけが参加しやすい活動になってしまいます。
協働の入り口は、一つである必要はないのかもしれません。
見えにくい協働を見取る
協働的な学びを考えるとき、
私たちは何を見取ればよいのでしょうか。
・考えが変わったか
・新しい視点を得たか
・友達の影響を受けたか
これらは、発言の量だけでは分かりません。
見えにくい変化に目を向けたとき、
協働の姿は少し広がります。
協働を広く捉え直す
話し合いは、協働の大切な形の一つです。
しかし、それがすべてではありません。
話すことも、聞くことも、考えることも、書くことも、
すべてが協働につながっています。
話し合いが苦手な子がいるとき、
協働できていないと考えるのではなく、
どのような形で参加しているのかを探してみたい。
そう考えると、教室の見え方が少し変わります。
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一つの問いから、また別の問いが生まれていきます。
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