できた。
授業の終わりによく聞く言葉があります。
「今日はみんなできましたね」
「全員達成です」
「目標クリアです」
教師にとって、この瞬間はとても嬉しいものです。
計画した授業が成立し、目標に到達した実感があるからです。
けれど、ふと立ち止まって考えたくなることがあります。
その「できた」は、誰にとっての成功だったのだろう。
授業は「達成」で満足しやすい
授業は構造上、「目標達成」で区切られます。
・本時のめあて
・評価規準
・到達目標
・振り返り
この流れは教育として必要です。
しかし同時に、教師の中に無意識の基準を作ります。
目標を達成した=よい授業
これは半分正しい。
そして半分、危うい。
なぜならその「達成」は、教師が設定したゴールだからです。
子どもの中の「できた」とは別物
子どもにとっての「できた」は、必ずしも授業の目標とは一致しません。
例えば算数。
教師の目標
→「筆算の手順を理解する」
子どもの内側の達成
→「昨日より計算が速くなった」
→「友達に教えられた」
→「分からなかったところが一つ分かった」
→「間違えても挑戦できた」
教師の評価軸では小さく見える変化が、
子どもにとっては大きな成功であることは珍しくありません。
逆もあります。
教師「全員できましたね」
子ども「分かったふりをした」
このズレは、静かに教室の中に存在しています。
「全員できた」は本当に幸せか
「全員できた」は理想のように聞こえます。
しかし時に、こういう授業もあります。
・ヒントが多すぎる
・手順が決まりすぎている
・思考の余白が少ない
・失敗する余地がない
結果として
全員が同じ答えに到達する
それは安心感があります。
しかし問いが残ります。
その達成は、挑戦の結果だったのか。
もし失敗が起こらないなら、
それは学びではなく作業かもしれません。
成功を「揃える授業」の落とし穴
教師は優しい職業です。
だからこそ、全員を成功させたくなります。
・分かるように説明する
・できるように導く
・失敗させないよう支える
これは教育の大切な側面です。
しかし、行き過ぎるとこうなります。
成功を設計しすぎる授業
このとき子どもは、
成功を「獲得」していません。
成功を「与えられている」状態になります。
本当の成功は揃わない
学びの本質は個別的です。
・ある子は理解が深まる
・ある子は挑戦する勇気を持つ
・ある子は疑問を持つ
・ある子は失敗から学ぶ
つまり、本来の教室はこうなります。
成功がバラバラ
そして実は、それこそが健全な状態です。
全員が同じ成功をする必要はありません。
それぞれが自分の地点から前に進めばいい。
成功の主語を変えてみる
授業の終わりの言葉を少し変えるだけで、
教室の見え方は変わります。
「今日は全員できましたね」
ではなく
「今日はどんなことができるようになった?」
主語が「教師」から「子ども」に移ります。
この変化は小さいようで大きい。
成功の所有者が変わるからです。
「できた」を奪わない授業へ
教師は評価者です。
けれど同時に、学びの伴走者でもあります。
だからこそ問い続けたい。
・これは誰の成功?
・誰が達成を感じている?
・子ども自身はどう感じている?
授業改善とは、技術だけではありません。
成功の見方を問い直すことでもあります。
終わりに
授業で「できた」が増えることは素晴らしい。
でももっと大切なのは、
子どもが「できた」と感じているか
その一歩が、
学びを自分のものにしていきます。
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