学びの価値とは
授業の終わりには、
「分かった」「できた」で終わる方がよい。
そう思っている自分がいます。
黒板が整理され、
ノートがきれいにまとまり、
子どもが「分かりました」と言って授業が終わる。
その姿は、とても安心します。
けれど、ときどき感じるのです。
本当に、それだけがよい終わり方なのだろうか、と。
授業は「完結」すべきものなのか
授業は、導入・展開・まとめ。
学習の流れは、きれいに閉じる形で設計されます。
問いを立て、
考え、
結論にたどり着く。
これは授業づくりの基本です。
そして多くの場合、それは大切な構造です。
しかし現実の学びは、必ずしもそうではありません。
・家に帰ってから思い出すこと
・別の教科でつながること
・数日後にふと分かること
学びは、授業時間の外でも続いています。
「分かった」で終わらない学び
子どもが「分かった」と言ったとき、
本当に学びは終わっているのでしょうか。
むしろ、その瞬間から新しい問いが生まれていることもあります。
・どうしてそうなるのか
・他の場合はどうなるのか
・本当にいつもそうなのか
理解は、次の問いの入口になることがあります。
それなのに授業では、
「分かった」で閉じようとしてしまいます。
問いが残ると不安になる
授業が終わっても問いが残っていると、
少し不安になります。
・うまくまとまらなかったのではないか
・理解が不十分だったのではないか
・授業として未完成なのではないか
教師としては、きれいに終わらせたくなります。
けれど、問いが残ることは
必ずしも失敗ではないのかもしれません。
学びは余白で続いていく
子どもが家でふと考える。
友達と話して思い出す。
次の授業でつながる。
こうした時間は、授業の外にあります。
けれど確かに学びの時間です。
もし授業がすべてを閉じてしまったら、
その余白は生まれないのかもしれません。
問いが残ることは、
学びが続いていく余白が残っているということでもあります。
「問いを残す」ことを恐れない
もちろん、毎時間問いを残す必要はありません。
基礎的な理解が必要な場面もあります。
それでも、ときどき思います。
すべての授業が
必ず結論に到達しなくてもよいのではないか、と。
問いを残す授業があってもいい。
考え続ける時間があってもいい。
そう考えると、授業の終わり方が少し変わって見えます。
授業の終わりは、学びの終わりではない
チャイムが鳴って授業は終わります。
けれど、学びはそこで終わりではありません。
むしろ、その後に続く時間の中で
ゆっくり形づくられていくこともあります。
だからこそ、思うのです。
授業の終わりに、
問いが残っていてもいいのではないか、と。
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