不安はどこから
「教育DX」という言葉を聞くたびに、
少し胸がざわつく瞬間があります。
もっと活用しなければ。
もっと学ばなければ。
このままで大丈夫だろうか。
明確に何かを指摘されたわけではないのに、
どこか取り残されているような感覚が生まれることがあります。
この不安は、どこから来ているのでしょうか。
不安は「遅れている気がする」から始まる
教育DXに関する情報は、日々増え続けています。
・新しいツールの紹介
・先進校の実践事例
・効果的な活用方法
・研修やセミナーの案内
どれも前向きな情報です。
しかし、その量が増えるほど、別の感情が生まれます。
自分は十分にできているのだろうか。
誰かに遅れていると言われたわけではありません。
評価されたわけでもありません。
それでも、「遅れているかもしれない」という感覚が生まれます。
ここに、この不安の特徴があります。
それは、明確な基準がないまま生まれる不安です。
比べる対象が、急に広がった
以前、授業づくりを振り返るとき、
比較の対象は身近な範囲にありました。
・同じ学年の先生
・校内の授業研究
・地域の研修会
しかし教育DXによって、状況は大きく変わりました。
SNSやオンライン研修を通して、
全国の実践が日常的に目に入るようになりました。
・ICTを自在に使う授業
・洗練されたデジタル教材
・効果的な活用事例
それらを見ること自体は、学びの機会です。
けれど同時に、比較の範囲が一気に広がりました。
そして気づかないうちに、
自分の教室を全国規模で比較してしまいます。
比較対象が広がるほど、不安も広がる。
これはとても自然なことなのかもしれません。
「できる人」の姿が見えやすくなった
もう一つ、大きな変化があります。
教育DXでは、
「できている実践」が非常に見えやすい。
成功事例は発信されます。
研修では成果が紹介されます。
SNSでは工夫が共有されます。
しかし当然ながら、
うまくいかなかった試行錯誤はあまり見えません。
・試してうまくいかなかった授業
・準備に時間がかかりすぎた実践
・思ったほど効果を感じられなかった取り組み
こうした部分は、表に出にくい。
その結果、見える世界は少し偏ります。
周囲はできているように見える。
この感覚が、不安をさらに強くします。
不安は「個人の努力」の問題に見えやすい
不安を感じると、私たちは原因を探します。
そして、多くの場合、
その原因を自分の中に見つけてしまいます。
・勉強が足りないのではないか
・努力が足りないのではないか
・意識が低いのではないか
しかし、ここで立ち止まる必要があります。
教育DXは、本来個人の努力だけで進むものではないはずです。
環境、時間、体制、支援。
多くの条件が関わるはずの取り組みです。
それでも不安は、個人の問題として感じられやすい。
ここに、この不安の重さがあります。
不安があること自体は自然なのかもしれない
ここまで考えてくると、
少し見え方が変わってきます。
教育DXに不安を感じることは、
特別なことではないのかもしれません。
・変化のスピードが速い
・比較の範囲が広がった
・成功事例が目に入りやすい
・基準が明確ではない
こうした条件が重なれば、
不安が生まれるのは自然なことです。
不安は、遅れている証拠ではなく、
変化の中にいる証拠なのかもしれません。
それでも問いは残る
では、この不安とどう向き合えばよいのでしょうか。
すぐに答えは出ません。
むしろ、この問いは残り続けます。
教育DXは、誰か一人が追いつけば終わるものではありません。
学校全体、社会全体の変化の中にあります。
だからこそ、この不安は個人だけのものではないはずです。
次は、この「個人では解決できない変化」について、もう少し考えてみたいと思います。
気になるところから、読んでみてください
一つの問いから、また別の問いが生まれていきます。
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