何をさせているのか
「考えさせる授業が大切だ。」
この言葉は、学校の中で何度も耳にします。
しかし、ふと立ち止まって考えると、少し不思議な感覚があります。
私たちは「考えさせる」と言いながら、実際には何をさせているのかを、どこまで意識できているのでしょうか。
活動が増えるほど「考えている」と感じる
授業研究や研修の場では、よくこんな言葉が出てきます。
・ペアで話し合わせる
・グループで話し合う
・自分の考えを書かせる
・発表させる
どれも大切な活動です。
そして、これらが増えるほど、授業は「考えさせている」ように見えてきます。
けれど、ここに小さな違和感があります。
活動があることと、思考が起きていることは同じではない。
話し合いをしていても、実は「答え合わせ」をしているだけかもしれない。
ノートに書いていても、既に分かっていることを写しているだけかもしれない。
発表していても、正解を再現しているだけかもしれない。
活動は見えます。
でも、思考は見えません。
だからこそ、私たちは「活動=思考」と感じやすいのかもしれません。
「考える」とは何が起きている状態なのか
では、子どもが考えているとき、何が起きているのでしょうか。
おそらくそこには、次のような状態があります。
・迷っている
・比べている
・理由を探している
・言葉にできず止まっている
・うまく説明できない
つまり、すぐに形にならない状態です。
ここに、授業づくりの難しさがあります。
授業では、どうしても「成果」を見たくなります。
書けた、言えた、発表できた。
こうした“見える結果”があると、安心できます。
けれど、思考は必ずしもすぐに結果として現れません。
むしろ、言葉にならない時間の中で起きていることの方が多いのかもしれません。
「考えさせる」が「活動させる」に変わる瞬間
授業づくりの中で、いつの間にか目的が入れ替わることがあります。
本来の目的:考えること
いつの間にか:活動させること
・話し合いをさせた
・書かせた
・発表させた
これらが達成されると、授業は「うまくいった」と感じやすくなります。
しかし、その裏で問いが残ります。
その活動の中で、子どもは本当に揺れたのだろうか。
考えるとは、心が揺れることでもあります。
分からない。迷う。確信が持てない。
そうした揺れがあって初めて、思考は動き始めます。
活動が整いすぎている授業は、
もしかすると、子どもが迷う余地を小さくしているのかもしれません。
「考えさせる授業」は、余白をつくる授業なのかもしれない
ここまで考えてくると、「考えさせる授業」は少し違って見えてきます。
それは何か特別な活動を増やすことではなく、
すぐに答えにたどり着かない時間をつくることなのかもしれません。
・すぐにまとめない
・すぐに正解を示さない
・すぐに整理しすぎない
教師にとっては、少し勇気のいる時間です。
沈黙が生まれることもあります。
手応えを感じにくい時間でもあります。
それでも、その時間こそが、思考が動き始める瞬間なのかもしれません。
それでも「考えたかどうか」は分からない
最後に残るのは、少し心もとない結論です。
子どもが考えたかどうかを、完全に確かめることはできない。
見えるのは、言葉や行動だけ。
思考そのものは、いつも見えないままです。
それでも私たちは、
子どもが考えていると信じられる場面を増やそうとします。
「考えさせる授業」とは、
思考を完全に把握することではなく、
思考が起きていると信じられる状況を丁寧につくることなのかもしれません。
そしてその問いは、きっとこれからも残り続けます。
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