どんな影響?
教室では毎日のように「よくできました」という言葉が使われています。
ノート、発表、作品、テスト、行動。
子どもを認め、励ます言葉として、ほとんど無意識に口にしている先生も多いはずです。
しかし、ふと立ち止まって考えてみたとき、こんな疑問が浮かびました。
「この言葉は、子どもの中に何を残しているのだろう?」
この記事では、「よくできました」という言葉を否定するのではなく、
その言葉が子どもの学びにどんな影響を与えているのかを整理して考えてみたいと思います。
「よくできました」は強力な言葉である
まず前提として、この言葉はとても強い力を持っています。
・子どもは安心する
・努力が報われたと感じる
・教師との関係が良くなる
・次も頑張ろうと思える
つまり、「承認の言葉」として非常に機能しているのは確かです。
特に低学年では、この言葉があることで
学校という場が「安心できる場所」になることも多いでしょう。
問題は、この言葉が悪いかどうかではありません。
問題は、この言葉だけで終わってしまうことです。
子どもの頭の中に残るもの
「よくできました」と言われたとき、
子どもの頭の中には何が残るのでしょうか。
多くの場合、残るのは次のような感覚です。
・先生に認められた
・正解だった
・間違っていなかった
・これでいいんだ
ここで気づくのは、
学びの中身ではなく「評価」が残っているということです。
つまり、子どもに残るのは
「何を考えたか」ではなく
「評価されたかどうか」
なのです。
評価が先に立つと起きること
評価が中心になると、子どもは次第にこう考えるようになります。
・正解を言えば褒められる
・間違えると褒められない
・早く答える方が良い
・先生の答えを当てにいく
これは、いわゆる「正解志向」です。
そしてこの状態になると、子どもの中で
学びの目的が少しずつ変わっていきます。
学ぶ → 評価されるための行動
という構造が生まれてしまうのです。
思考は評価の前にある
本来、授業で大切にしたいのは
・どう考えたか
・どこで迷ったか
・何を比べたか
・なぜそう思ったか
といった「思考のプロセス」です。
しかし「よくできました」で終わると、
プロセスは見えないままになります。
子どもから見えるのは
「結果だけが価値」
というメッセージです。
これは、意図せず
「思考より結果が大事」という学習観を作ってしまいます。
本当に残したいものは何か
では、教室で本当に残したいものは何でしょうか。
それはおそらく
・考えることの面白さ
・試行錯誤する価値
・自分の考えを言葉にする経験
・他者と比べて気づく視点
つまり、思考した経験そのものです。
もしそうなら、
「よくできました」はゴールではなく、
本来は入口の言葉のはずです。
言葉を少し変えるだけで変わること
例えば同じ場面でも、こんな言葉に変えてみるとどうでしょう。
「どこを工夫したの?」
「何と比べて考えたの?」
「迷ったところはどこ?」
「最初はどう思っていた?」
ここで子どもは初めて
自分の思考を振り返ります。
そして、教室に残るものが変わります。
評価ではなく、
思考の言語化が残るようになります。
「よくできました」をやめる必要はない
ここまで読むと、「褒めない方がいいのか」と感じるかもしれません。
しかし、そうではありません。
問題は褒めることではなく、
褒めて終わることです。
「よくできました」は
学びの終点ではなく、
思考を引き出すための通過点
として使えるはずです。
教室の空気は言葉でできている
教師が日常的に使う言葉は、
教室の学習文化そのものになります。
もし教室に
・正解を当てる文化
・早く答える文化
があるなら、
その文化は、教師の言葉から生まれています。
そして同じように、
・考える文化
・語る文化
・迷う文化
も、教師の言葉から作ることができます。
おわりに
「よくできました」は、とても優しい言葉です。
だからこそ、無意識に使ってしまいます。
でも、ほんの少しだけその後に言葉を足すだけで、
子どもの中に残るものは大きく変わります。
評価だけが残る教室から、
思考が残る教室へ。
その変化は、
たった一言から始まるのかもしれません。
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