デジタルで本当に失われているものは何か
「デジタルが進むと、大事なものが失われる気がする。」
学校の中でも、こうした言葉を耳にすることがあります。
はっきりと何が失われるのかを説明できるわけではない。
それでも、どこかに違和感が残る。
この感覚はどこから来ているのでしょうか。
まず「失われる」という前提を疑ってみる
デジタルの話になると、よく対比が生まれます。
・紙か、デジタルか
・手書きか、タイピングか
・対面か、オンラインか
そして、その対比はしばしば
「デジタル=何かを失う」という前提につながります。
けれど、本当にそうなのでしょうか。
思い返してみると、学校はこれまでも変化してきました。
黒板にチョークだけだった時代から、
プリント、コピー機、電子黒板へと移ってきました。
そのたびに、同じ問いがあったはずです。
「何かが失われるのではないか。」
もしかすると、私たちは変化そのものに不安を感じているのかもしれません。
失われたと感じる瞬間
それでも、違和感が生まれる瞬間は確かにあります。
・ノートを書く時間が減った
・本を開く時間が減った
・画面を見る時間が増えた
・教室の静けさが変わった
こうした変化を前にすると、
「何かが減った」と感じるのは自然なことです。
しかしここで、少し視点を変えてみます。
本当に減ったのは「価値」なのでしょうか。
それとも「慣れ親しんだ形」なのでしょうか。
形が変わると、価値が揺らぐ
紙のノートに書く。
教科書をめくる。
手を挙げて発表する。
これらは長い間、学校の当たり前でした。
当たり前であるほど、そこにある価値は疑われません。
しかし形が変わると、
同じ価値が見えにくくなります。
・タイピングは「考えていない」ように見える
・画面は「軽い」ように見える
・データは「残っていない」ように感じる
実際には、思考や記録が消えているわけではありません。
見え方が変わっただけなのかもしれません。
それでも残る違和感
ここまで考えても、違和感は完全には消えません。
デジタルには、確かに特徴があります。
・すぐに消せる
・すぐに直せる
・すぐに共有できる
・すぐに検索できる
便利さと同時に、「軽さ」も感じます。
紙は消しにくい。
書き直すのに時間がかかる。
共有も簡単ではない。
その「手間」こそが、
学びの一部だったのではないか。
そんな感覚が残ります。
失われているのは「手間」なのかもしれない
デジタルで本当に減ったもの。
それは、もしかすると手間や時間なのかもしれません。
・書き直す時間
・探す時間
・共有するまでの時間
これらは確かに減りました。
そして、その時間には意味もありました。
時間がかかるからこそ、
繰り返し見る。
ゆっくり考える。
偶然見返す。
こうした経験が生まれていたのかもしれません。
失われたのではなく、変わった
ここまで来ると、見え方が少し変わります。
失われたのは価値ではなく、
学びが起きるきっかけの形なのかもしれません。
ゆっくり進むことで生まれていた学び。
手間の中で生まれていた学び。
それらが減った可能性はあります。
しかし同時に、別の学びも生まれています。
・すぐに共有できるからこそ生まれる対話
・すぐに調べられるからこそ生まれる疑問
・すぐに試せるからこそ生まれる試行錯誤
何かが消えたのではなく、
学びの起点が移動したのかもしれません。
問いは残り続ける
それでも、この問いに明確な答えはありません。
デジタルで失われたものは何か。
きっと一つではありません。
場面によって違うはずです。
だからこそ、この問いは残り続けます。
デジタル化は終わった変化ではなく、
今も続いている変化だからです。
そして私たちは、その途中に立っています。
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一つの問いから、また別の問いが生まれていきます。
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